こんにちは、michikoです。
近藤真彦、と聞いてまず呼びたくなる「マッチ~💛」と。
アイドル御三家として、国民的スターになった近藤真彦さん。
歌手として数多くのヒット曲をだし、俳優やタレント、
そして、自らハンドルを握りチームを引っ張っているレーシングチームの
監督兼代表取締役の顔をもつ60歳のアイドル。
そんな近藤真彦さんが、「池の水ぜんぶ抜く大作戦」に登場です!
なぜ、アイドルの最前線で活躍しながら、並行してまで挑戦し始めたレースとの
出会いが気になり、調べてみました。
皆さんと一緒に見ていきましょう♪
近藤真彦のアイドルとレースの両立
アイドル時代のストレス発散方法
デビューして45年を迎える近藤真彦さん。
「スニーカーぶる~す」を聞いたときの衝撃は忘れられません(笑)
一言で、かっこいい💛と心を鷲掴みされた気分でしたね。
そして、曲同ひ名前で放映された映画もありました。
皆さん、覚えていらっしゃいますか?
そんな、デビュー曲からアイドルとしてテレビでは見ないときはないほど
活躍されていましたね。
歌番組も梯子するほどの忙しぶり。
ストレス発散方法は
昔から大好きなオートバイで走ること!
「ザ・ベストテン」に出演後、自身のオートバイで首都高を走っていたそうです。
風を切って、トンネルを走り抜けていた。
好きさゆえに
時間を見つけては、大好きなオートバイを走っていた近藤真彦さん。
あるとき、「サーキットを走りたい!」と言ったことで、
周りの人たちが考えました。
「このまま道路を走らせておくことは危ないし、サーキットの方が安全」
ということで、サーキットで走ることになります。
当時、アマチュアの草レースのようなレースに挑戦したとき、
30台中30位という結果に。いわゆるビリ。。。
それが悔しくたまらなかった。
レースにハマったキッカケはあのCM
キッカケとなるCM
15歳でデビューして、アイドルとして活躍しながら
20歳くらいの頃に、レーサーになりたいと考えていたそうですが
通常であれば、年齢的に遅いとも感じていた。。
そんな中、CM出演の仕事で本格的に打ち込むことになります。
それが
日産「マーチ」のCM
「マッチのマーチ」というキャッチコピーで1980年代に放送されていた。
当時、自身もマーチを購入し愛車として乗り続けていたそうです。
レーシングチームを作るまで
日産「マーチ」に出会い、オートマ車からマニュアル車へカスタマイズするほど
愛し思い入れがハンパない!
富士スピードウェイで、日本一になった”星野一義さん”に出会い刺激を受けたことということもあり、アイドルと並行してレースへ打ち込んでいきます。
のちに、スポンサーの力を借りて、後輩たちの育成へスイッチすることを決めて
「KONDO RACING」を立ち上げた。
歌手、レーシングチーム監督としての今後
歌手として
ずっと変わらず歌い続けてきたマッチ!
親友であり、アイドル時代を一緒に過ごしてきた野村義男さん、よっちゃん!
二人でタッグを組んで・「MASAHIKOとYOSHIO」でコンサートもされました。
アイドル時代とは違う、ボーカルとギターのセッションが新鮮で
また心を鷲掴みされてます💛
今後の活動のテーマ「ありのままにいく」
マッチらしいですね♪
レーシングチーム監督として
「KONDO RACING team」の監督、「日本レースプロモーション」会長も務めています。
チームが強くなれば、スポンサーもつき応援してくれる。
そうなれば、支援も惜しみなく後輩たちに使えて、またさらに強くなる。
と、チームのため、後輩のために自信がやるべきことを意欲的に話しています。
しかし、ビジネスだけでは頭がいっぱいになってしまうので
たまにはハンドルを握らないと。
ハンドルを握ってトラックを走ると
「本当のレースはこれだ!」と実感して
俺の原点はハンドルを握ることだ!
と熱く語る近藤真彦さんは、歌手のマッチとは違う顔で
レーシングへの愛がめちゃくちゃ伝わります!!
まとめ
歌手だけではなく、ビジネスでも尽力されている近藤真彦さん。
歌うときは「お客さんの前で歌う時が一番幸せ」
レースでは「ハンドルを握ることが幸せ」
これからも。ありのままに進んでほしいと思います。
マッチ~これからも応援しています♪
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