エロかっこいい歌姫で知られている幸田來未さん。
実は、幼いころから日本舞踊を始め舞台に立つなど
芸能環境で育ってきた。
そこから、”人を楽しませるエンターテイナー”として数々のヒット曲やMVを
発表されてきました。
そんな、倖田來未さんはスムーズに歌手として活動ができたわけではないようです。
気になりますよね!
そして、人生最高のレストランへ登場し、
たっぷりと、㊙素顔や育った環境のことなど盛りだくさんで聞けそうです♪
では、今回も皆さんと一緒に見ていきましょう(#^^#)
倖田來未の原点
母はお琴の先生、祖父は尺八の先生。
そして、自身も4、5歳のころから日本舞踊をはじめて、
舞台へ立ったこともあるという。
さらに、中学時代は、運動神経が良いことから先生の勧めで
野球部へ入部。
元プロ野球選手で現在広島カープ一軍外野守備・盗塁コーチの赤松真人氏と
チームメイトで、今でも交流があるそうです。
アーティストとしては
2000年11月に全米でデビュー。
そして、同年12月に日本でもデビューを果たします。
しかし、日本ではなかなかヒットが出なかったなか、
”アイドルではなくアーティストになりたい。顔などは関係なしで歌さえ聴いてくれたらうれしい”
という想いで活動していた。
デビュー後しばらくは下積み時代が続き、
テレビ出演の代わりに、年間100本のクラブ巡業をしていた。
もちろん、ヘアメイクやスタイリストもいないので、すべて自分で準備をしていたそうです。
どんな形でも、自分の歌を聴いてもらいたい!
という気持ちから、生まれるエネルギーだったのではないでしょうか。
日本舞踊で覚えた、化粧の仕方や立ち振る舞いも
表現方法は違うけれど、うまく活かされていたのでは。
妹への劣等感と葛藤
デビュー当初は、10年歌えたら最高だろう。
と思っていたそうです。
その中でも、常に
いつまで歌わせてもらえるのだろう
3年やって売れなければやめよう
という気持ちはあった。
さらに、妹misonoの存在も大きく響いていた。
自分の方が先にデビューしたにも関わらず、妹が先にヒット曲をだして新人賞を
とるなど活躍していたことから、劣等感を持ちつつ葛藤する。
そこで、出た答えが、
卑屈になるのではなくて、妹に負けずに自分も頑張らないといけない。
早く妹に追いつかなくちゃ!
早くたくさんの人の前で歌いたい!
と、自分を鼓舞したそうです。
そのなかで、倖田來未にしかできないことを作り
オリジナリティーを追求するようになった。
始めは受け入れられなかったけれど、
幸田來未が歌うことで、どんなコアな曲もキャッチーになることを
周りに知ってもらってから、幅が広がり活躍する場も増えたそうです。
倖田來未が考える”音楽”の意味
そして、結婚、出産を経験してさらに強くなれたという。
年齢を重ねても、保守的にはならずに見ている人が納得するライブもするし
ファンや家族に恥じない倖田來未を全うしたい。と話す。
「音楽」という字は音を楽しむと書く。
一瞬一瞬を楽しまなくては良いものは生まれない。
だから、どんな時も楽しんで仕事をするように心がけているそうです。
それは、音楽に限らず人生においても重ねられることではないでしょうか?
その一瞬は、大事な時間。
すべて意味のある時間を大切にしていきたいと、あらためて感じます。
今は何でも手に入る時代。
自分が思いついたら、ほぼ手に入るし体験もできますよね。
でもそれは、当たり前のことではなくて
仕事をして給料をもらえるから、自由にお金が使える。
ということは、仕事ができる環境を与えてもらえている。
そういった、毎日当たり前になっている環境、時間、周囲の人たちに対して
感謝することこそが、
自分をご機嫌に一瞬一瞬を楽しく過ごすことができる大事なことですよね。
心がけ、それだけでちょっと楽しくなりそうです(#^^#)
人生最高レストランへ登場です!
9月13日(土)放送の「人生最高レストラン」へ出演です!
㊙話、家族のことなど、たくさんの話が聞けそうですね!
また違う倖田來未さんの素顔を見るのが楽しみです!
まとめ
幸田來未さんが歌う「キューティー・ハニー」を聞いたときの衝撃は忘れられません。
痺れました(#^^#)
それから、カラオケでわたしの定番!必ず歌う一曲です♪
それからもステキな歌声を聴かせてください!
応援しています♪
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