こんにちは、michikoです。
98歳で亡くなるまで、彫刻家として生き抜かれた佐藤忠良さん。
具像彫刻家の第一者として
多くの作品を制作されてきました。
「時をかけるテレビ」に登場で、人物像と作品、作品に込めた想いはどんなことなのか?
気になり、調べてみました。
皆さんと一緒に見ていきましょう♪
佐藤忠良のプロフィール
1912年、宮城県黒川郡生まれ。彫刻家。少年時代を北海道で過ごし、絵画を学ぶために上京するが、ロダン、マイヨール、デスピオなど新しい生命主義の作品に感銘を覚え彫刻家を志す。東京美術学校(現東京藝術大学)を卒業後、新制作派協会(現新制作)を舞台に活躍。
1944年に兵役に招集、終戦後のシベリアでの抑留生活を経て帰還後に制作を再開。その体験から、平凡なごく普通の日常生活の中でほんの一瞬だけ垣間見る「人間の美」を追求した作品を多く手掛ける。
1981年には、パリの国立ロダン美術館で日本人初の個展を開催。
その功績により、フランス・アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙されるなど、国際的にも高い評価を得ている。
引用元:佐川美術館ホームページ
兵役に召集された後も、彫刻の政策を再開されるという熱意。
幼い頃に父親を亡くし貧しい家庭で育った苦労や戦争での経験が
彫刻作品に「人生の穏やかさ」が滲み出ていると評価されていました。
彫刻以外で、絵本の挿絵も担当していたそうです。
有名な「おおきなかぶ」
ロシアの昔話で、この作品を作るときは、
シベリア抑留の経験から、人物や建物、ロシアの風土を生かした力強い絵になっています。
現代の私たちには想像もつかないほどの辛く悲しい戦争の体験を、
言葉ではなく、彫刻や挿絵という生きがいとする藝術に織り込み、
それを表現するという素晴らしさ。
熱い情熱をもった日本を代表する具象彫刻家であることが納得できます。
作品に込めた想い
代表的な作品として、
ブロンズ像「群馬の人」
「日本人の顔」がテーマの作品は高村光太郎賞を受賞
「帽子シリーズ」で世界の注目を浴びる。
「いかに深くなれるか」と常に自問自答しながら彫刻の職人として芸術の道を
進んでこられました。
「気持ちが深くなること。ものを見つめる深さをいかに自分の中に
蓄えることができるか」
という想いを作品に込めながら、亡くなる数日前まで制作を続け
最期まで生涯現役を貫いたそうです。
自分も最期が来たとき、
”これを貫き通した”と胸を張って言えるように、気持ちを深くなることを
意識していきたいものです。
故郷へ貢献
出身地である、宮城県黒川郡とは、
塩竃市、多賀城市、富谷市、松島町、七ヶ浜町、利府町、大和町、大郷町、大衡村
3市5町1村の地域を指します。
地域を聞いて、お分かりのように、
14年前に起きた、東日本大震災での被災地です。
佐藤忠良さんの生まれた、大和町も大きな被害があった地域の一つです。
佐藤忠良さんが生誕地の宮城県へ貢献したことは、
ご自身の全作品を寄贈され、仙台市の台原森林公園に作品を設置することで
人々の癒しの場を作ったこと。
このように、地元に美術文化を根付かせ後世に大きな遺産を残したことです。
全国各地で佐藤忠良の作品が見られる美術館がありますが、
もちろん出身地である宮城県にもあります!
宮城県美術館や佐藤忠良記念館です。
そのほか、全国各地にもあるので、そちらもチェックしてみてください(#^^#)
地元で展示している作品に触れるのもよいかもしれませんね。
時をかけるテレビで読み解く
一生、友人でありライバルであった舟越保武さんとの関係についての
エピソードも聞けそうですね。
まとめ
最期まで、現役芸術家として人生を全うした佐藤忠良さんの
生き様に触れて、
「自分を大事に、気持ちを深く、物事を深く見つめる力を育てる」
ということを教えてもらいました。
ちょっとしたことでも良くて、身の回りのことに目を向けて
気持ちを深くみていく癖をつけていきたいですね。
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